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この人に聞きたい 「『がん』に克つ自然治癒力アップの生き方」 医療法人社団崇仁会 船戸クリニック院長 船戸崇史さん

今回ご登場いただく船戸先生は、岐阜県の豊かな自然の中でがんの専門治療を行われています。ご自身もがんを経験され、その中で実践されてきた健康法を中心にお話を伺いました。多くの患者さんと向き合ってこられた先生のお話は、生き方を見つめるきっかけとなりました。


船戸崇史さん

医師になった理由

私が医師になったのは親族に医者が多いからだと思っていましたが、思い返すと子どものときの経験がきっかけだったような気がします。

小学校に入学する頃、川遊び中に深みへ流されてしまう出来事がありました。もう助からないと思うと腹が据わり、両親の顔を思い浮かべて感謝すると安らかな気持ちになってさらに沈んでいきました。次の瞬間、隣の家のお兄ちゃんが私を助けてくれたのです。

6歳そこそこの子どもが死と直面し、それを受け入れた。この経験を通して人の生き死に興味をもったんだと思います。

医師の私が「がん」になった

24歳で医師になって以来、ずっとがん患者さんを診てきました。彼や彼女のがんと三人称だったものが、母が61歳で白血病になったときにあなたのがんと二人称になりました。私のがんと一人称になったのは、妻から言われて48歳で人間ドックを受けたときです。腎細胞がんと告げられました。

外科医としてメスをふるっていた頃は、がんは悪いもので憎むべき敵だと思っていました。クリニックを開業してからは緩和ケアに没頭しました。私の頭の中はがんの対症療法でいっぱいで、がんになる理由は考えてこなかったのです。患者さんには「がんは生活習慣病だから生活を見直しましょうね」と言っておきながら、自分の生活習慣についてはまったく考えていませんでした。

当時の生活を振り返るとひどいもので、まず明らかな睡眠不足。布団に入るのは日付が変わってからで、夜中もよく病院から呼び出されていました。食事は何も考えずに好きなものを食べていたし、冷たい飲料水が大好物でした。

...続きは遊和48号でご覧ください。

船戸崇史さん

PROFILE

船戸 崇史(ふなと たかし)PROFILE

1959年岐阜県生まれ。愛知医科大学医学部卒業後、岐阜大学第一外科に入局。数々の病院で消化器腫瘍外科を専門とする。しかし、「がんには自分のメスでは勝てない」と、根本的な治療を目指して1994年岐阜県養老町に船戸クリニックを開業。西洋医学を中心に東洋医学や補完代替医療も取り入れ、全人的な治療と診察を行っている。また、開院当初から末期がん患者を中心とした在宅医療にも力を注ぐ。 2018年日本初の「がん予防滞在型リトリート リボーン洞戸」を開設。新しいアプローチで再発転移の予防に取り組んでいる。著書に『がんが消えていく生き方』『「死」が教えてくれた幸せの本質』(ユサブル)などがある。

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